第16回 ライオンカンよ、その思い出は永遠に
映画館の思い出
 映画ファンなら誰にでも、映画の思い出とともに蘇るもうひとつの思い出があるはずだ。それがその映画を見た映画館の思い出ではないだろうか。といっても、そんな思い出を大事にしているファンは、もうある年齢以上の世代だけなのかも知れないが。最近の大規模でアミューズメントパークみたいなシネマ・コンプレックスとは違い、いわゆる「手作りでアナログな街の映画館」には「昭和の思い」が濃縮されていて、かくいう僕にもたくさんの記憶が蓄積されている。かつて高松市内に存在した数多くの映画館のなかで、一番印象に残っていて、高校時代など「休日に帰来を探したかったらあそこに行けば必ずいる」と言われるまで通い詰め、ある意味、僕の映画人生を決定づけたともいえる老舗映画館。それが高松ライオンカンだった。

ミクロの決死圏
ミクロの決死圏

海底2万マイル
海底2万マイル


ライオンカンは青春の故郷!

チキチキ・バンバン
チキチキ・バンバン

タワーリング・インフェルノ
タワーリング・インフェルノ

トップガン
トップガン

 「高松市内ライオン通り商店街にあるからライオンカン」だと思っている人が多いはずだが、創業者が映画館を始めた頃、飼っていたライオンにちなんで名付けたのがライオン館であり、商店街がにぎわいを見せ始めたのはそれ以降なのである。だから映画ファンとしては声を大にして言いたい。ライオンカンがあるからライオン通りなんです!  
 小さい時から両親に連れられてライオンカンに通っていた僕は、西部劇、戦争映画、恋愛映画のほとんどをここで見た。小学6年生の時の「ミクロの決死圏」、007シリーズ、「海底2万マイル」、中学に入って「荒鷲の要塞」、「チキチキ・バンバン」。「バルジ大作戦」の時は劇場の壁を突き破る形で戦車のポップが展示されていてイヤが上にも気分を高揚させてくれたものである。昭和46年9月にボウリング場になるため閉館する事になった時は、落ち込んでいた僕に映画好きの友人がこう慰めてくれた。「ボウリングは娯楽であっても文化じゃない。けど映画は娯楽であると同時に芸術でも文化でもある。必ずライオンカンは還ってくるで」・・・ 。4年後に劇場として再開した時は彼のこの言葉をしみじみと思い出したものである。それからの20数年間、あいかわらず映画漬けの僕は、毎週のようにライオンカンに足を運んだ。「タワーリング・インフェルノ」「スター・ウォーズ」「エイリアン」から、「地獄の黙示録」「ダイ・ハード」「トップガン」。ぜ〜んぶ、ここで見たのである。名物支配人のS氏と親交を結ぶ事もできたし、平成に入って県下各地にシネコンができてからもライオンカンは僕の心の故郷だったのである。

「映画館という夢の祭り」は永遠に・・・
 しかし、平成11年、ついにライオンカンは通算77年の歴史に幕を下ろす事となった。最後に見た作品は「ディープ・ブルー」。「JAWS」にオマージュを捧げたようなこの作品を見て「そういえば、『JAWS』もライオンカンで見たなぁ」と感慨にふけった僕であったが、今度ばかりはさすがに「映画館はもう還ってはこない」と思わざるを得なかった。閉館以降は1階や2階のテナントも出たり入ったりという状態だったし、周辺の商店街自体にもシャッターをおろした店舗が増えつつあるという状況の中で、昔の佇まいそのままの空き家の建物は、それからも通りすがりの僕の胸を締め付けていた。
 そして平成20年。今、ライオンカン跡地には都市型分譲マンションの建設が進められている。 そのうちに販売が始まるのだろう。仕方がない事だと思う反面、僕の青春のモニュメントが消え去っていくという寂しさもまた感じてしまう。しかし、この感情は中年映画マニアのセンチメンタリズムにしか過ぎないのだろうとも思う。ライオンカンよ、永遠に。かつてここには確かに映画館があった。夢の祭りが存在した。しかし、高松の映画史、いや、僕の映画人生の中で「ライオンカン」の名前は永遠に輝き続けているのである。

JAWS
JAWS

ディープ・ブルー
ディープ・ブルー


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