徳島県側の竹ヶ島から臨む、夕日に輝く甲浦の海。
イカ釣りに出る漁船がゆっくりと出て行った

 甲浦(かんのうら)の地名を知ったのは40年ほど前、大学生の頃に初めて高知へ旅した時だった。最も安くあげるため、大阪から関西汽船で甲浦に入った。切符を買うとき「かぶとうら」と言って笑われたこと、夜明け前の暗闇の桟橋に降り立った時の何もない町の記憶が、鮮明に残っている。その港も今年6月、大阪高知特急フェリーが廃止され、海の玄関口としての長い歴史に幕を下ろした。



雨戸が上下に開き、上はひさし、下は広縁になるぶっちょう造りの民家
=東洋町白浜で

 県の東端、徳島県宍喰町と境を接する甲浦は、古来大阪を中心とした畿内と航路が開かれ、土佐の東の玄関として要衝の地だった。江戸時代には阿波の国との関所が設けられていた。
 初代土佐藩主・山内一豊の生涯を描いた司馬遼太郎の歴史小説「功名が辻」が06年のNHK大河ドラマに決まった時、町は大きな期待感に包まれた。小説では一豊は浦戸湾から土佐入りしているが、山内家の資料集「南路志」によれば、一豊は甲浦の港に上陸、野根山街道を通って陸路、浦戸城に入城している。
 町の有志が「甲浦でドラマのロケを」とNHKに陳情した。しかし「小説の通りに」との司馬夫人の強い要望で、実現しなかったという。郷土史家の原田英祐さん(59)は「史実に基づいて欲しかった。過疎化が著しい町を売り出す、絶好の機会だったんですが」と嘆く。


イカの天日干しは秋から冬にかけての風物詩。
港近くではあちこちの民家の軒先に干されている
=東洋町甲浦で

 甲浦は、甲浦地区と白浜地区からなる。Y字形の甲浦湾内に漁港があり、漁師町の風情が色濃い甲浦地区。港に沿って古い民家が並び、秋から冬にかけてイカの天日干しが軒下にずらりと並ぶ。
 町の中を抜ける旧街道は、海岸線に国道55号が出来るまでは、往来の中心だった。街道沿いの電柱に、1946(昭和21)年の南海地震で発生した津波の高さを示す表示板がある。湾のどんづまりになっている甲浦地区では7人が死亡、漁船の9割が損壊したという。
 旧街道を西へ歩くと白浜地区に出る。県下有数の海水浴場に面してリゾートホテルが建つ。一方で、町内にはほんの数軒だが、「ぶっちょう造り」と呼ばれる古い民家が残っている。雨戸が上下に分かれ、上はひさしに、下は広縁になる。天気のいい日、広縁はお年寄りたちの井戸端会議の場だったという。「台風に悩まされた先人の知恵。被害に遭ったときは家の中から簡単に雨戸を蹴破(けやぶ)って外に逃げられたんですよ」とお年寄りから聞いた。

 59年、甲浦町と野根町が合併して生まれた東洋町。東に太平洋を望むという意味だ。「甲(かん)の町(まち)」を望んだ住民に野根町側が反発、県があっせんに入った。現役場が生見(いくみ)地区に完成するまでの26年間、役場は甲浦と野根を行ったり来たりしたという。
 甲浦を見下ろす山々は間もなく、名産「甲浦ポンカン」で黄色く染まる。
(川原崎茂)