戦国時代、攻め滅ぼされた城主らの死を悼み、命日の3月3日には雛(ひな)祭りをやめ、男の子の節句とともに祝ったという仁尾町。城下町の面影が残る古い街並みを歩いた。

覚城院山門沿いに残る仁尾城の石垣

  西は瀬戸内海に面し、残る三方を山に囲まれている三豊市仁尾町。仁尾城は、旧町の中心部から少しはずれた標高42メートルの八紘山にあった。戦国時代、仁尾は城下町として急速に発展したといわれるが、今は頂上が公園となり、周辺の斜面にはミカン園が広がっているぐらい。城跡の南西部に覚城院が建ち、寺の山門沿いにはこけむした城の石垣が残る。
  「戦の場だったのに城内や周辺の畑などから甲冑(かっちゅう)、刀剣などは見つかっていない。城郭の遺構は戦国時代の石垣だけでしょう」と森恭圓住職(51)。
  仁尾城主だった細川頼弘が土佐(現・高知県)の長宗我部元親に敗れ、討ち死にしたのが天正7年(1579年)3月3日だった。以来、仁尾では城主の命日となるその日、雛節句をせず、旧暦の8月1日に男の子の節句とともに祝う「八朔人形まつり」が催されるようになったという。
  商家の店先などで、ひな人形、武者飾りをするのが一般的だったが、すたれてしまった時期があった。1998年、町の活性化にと、旧仁尾町商工会が県の中小業活性化事業の支援を受け、約30年ぶりに復活させた。まつりは、商家の店先のほか、民家の座敷、車庫などで、砂や石、草木を使った舞台に弁慶、竹取物語、浦島太郎など歴史上の人物、おとぎ話の場面を再現し展示している。
  「まつりの企画担当」を自称する元商工会副会長の中井良祐さん(76)は「町の文化遺産ともいえる『まつり』を、次世代にぜひ引き継ぎたい」と話す一方で、「住民の高齢化が進み、ここ数年、まつりを盛り上げる約50人のボランティアは60歳以上のお年寄りばかりです」と苦笑する。



江戸末期には商家が軒を並べ、買い物客でにぎわったという「中之丁」の路地

 町内の古い町並みの中でも「中之丁」「中津賀」「境目」と呼ばれる3本の路地は、今も城下町としての風情を残している。細い入り組んだ路地の両側には、瓦屋根でなまこ壁、板塀の商家などが軒を連ねる。今は、空き家も目立つが、江戸時代末期の「商家地図」によると、この3本の路地には、ちょうちん、傘、薬、米、呉服、お茶、酢、酒などの商家が軒を連ねていた。
 町文化協会の真鍋憲一副会長(72)によると、仁尾城の城下は敵が簡単に攻め込まないよう道は狭く入り組むようにした。また当時、町には23の寺があり、寺町としての顔もあった。仁尾は海路の要所でもあり、塩、米の積み出し港としても繁栄したという。真鍋副会長は「過疎化が進んでいますが、町には分厚い歴史が凝縮して残っています」と胸を張った。 (清水威海)



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マップデータ
  1. 覚城院・仁尾城跡
    戦国時代の武将、細川頼弘の居城跡。江戸時代、町内の覚城院が移築された。境内には桃山時代の様式を残す鐘楼があり、国の重要文化財にも指定。
  2. 辻の札場
    旧仁尾町役場跡近くの普門院前にある。藩政時代、お触れなどを掲示した告知板。県指定史跡で、戦後しばらくは旧町の公示、告示を掲示していた。
  3. 賀茂神社
    町一帯の産土神を祭る。神殿前には一対の注連石が建つが、旧詫間町鴨の越の入り江にあった石で、漁船のじゃまと氏子らが引きあげたものとされる。
  4. 体験人形工房
    八朔人形まつりの復活に合わせ、銀行跡に開設した。まつりの期間中、紙、布、木を素材にした人形作りや、伝統玩具の張り子虎の絵付け体験ができる。