遥か昔より、人々が往来してきた「道」。 一群の人々が通り過ぎるたび 文化が生まれ、歴史が築かれてきました。 四国歴史文化道。 美しい自然のなかで受け継がれる ふるさとの道を訪ねます。
四国歴史文化道とは
四国は、古くから、奈良の都につながる南海道や海上交通の大動脈瀬戸内海などによって各地と盛んな交流を行い豊かな文化を育むとともに、空海ゆかりの四国霊場八十八ヶ所など心のやすらぎを感じさせる独自の風土を生み出しています。
また、阿波おどりをはじめとする伝統あるエネルギッシュな祭りも数多く、さらに明治維新など歴史の節目には日本を動かす幾多の歴史的人物を輩出してきました。
「四国歴史文化道」は、官民が一体となって四国各地域に点在する歴史的文化遺産を結ぶ道路網を整備し、より多くの方々にこうした四国の歴史・文化に触れて親しんでいただける環境づくりに取り組んでいるものです。





阿南室戸歴史文化道
徳島県南部の沿岸から室戸岬一帯にかけての地域は、古くから海部(あまべ)と呼ばれる漁業や製塩を生業とする人たちが住み着いたところといわれ、戦国時代から江戸時代にかけては阿波水軍が活躍するなど、海とともに生きてきた歴史をもっており、今も海の民の文化が各地に残っています。また、太龍獄(阿南市の太龍寺近辺)や室戸岬は若き日の空海が激しい修行を行った地として知られ、空海の足跡を示す数多くの貴重な歴史文化遺産が残る地域です。
■吉良川の町並み、津照寺(しんしょうじ)(2006年9月26日OA)
吉良川町は明治時代〜昭和初期にかけて、商業の町として栄えました。土佐漆喰仕上げに水切壁のある蔵など土佐独特の建築様式をもつ家々が約700mにわたって軒を連ねます。国の重要伝統的建造物群保存地区に指定されています。
室戸岬から海岸沿いを6kmほどいくと町中に小高い山があり、その山上に第25番札所「宝珠山津照寺」の本堂があります。津照寺の本尊の延命地蔵菩薩は、お大師さまが太平洋へ出て働く漁師のために、大漁と海の安全を祈り刻まれたといわれています。
■室戸岬、ハイビスカス通り、御厨人窟(みくろど)、最御崎寺(ほつみさきじ)(2006年9月19日OA)
室戸岬は土佐湾に突出した特異な地形から『補陀洛渡海(ふらだくとかい)』の聖地として崇められてきました。『補陀洛渡海』とは、観音菩薩の住む聖地のこと。ここには若き日の空海が激しい修行を行った洞窟『御厨人窟(みくろど)』があります。この場所で弘法大師は明けの明星が口から入り身体を貫くという不思議な体験をしました。空海の名は、この洞窟から眺めた空と海に深く感銘したことに由来するといわれています。
また、室戸には四国巡礼のうち「最御崎寺」、「金剛頂寺」、「津照寺」の3つの霊場があり、室戸全域が巡礼の聖地といえます。
ここ室戸は亜熱帯植物に属するハイビスカスの北限であり、全長1.1kmにわたり、7,500本植栽されているハイビスカス通りは7月〜12月中旬には真紅の花が南国情緒を醸します。
■海部町の町並み、大里八幡神社、大里海岸(2006年9月12日OA)
海部町の町並みにでは家の表構えに折りたたみ式の縁台がある「みせ造り」という住宅が残っています。縁台はかつて昼は魚などの売台、夜は雨戸として利用されました。  
海部郡海南町大里の『大里八幡神社』で10月第3土曜日に行われる例大祭では、力強い太鼓の音が鳴り響く中、「関船」という船の形をしただんじりが大漁旗を揚げ、勢いよく町内を練り歩き、神社目指して駆け抜けます。関船は、往時の阿波水軍あるいは徳島藩主が参勤交代に用いた豪華客船(御座舟)を模したものです。
■椿泊の家並み、浦生田岬(2006年9月5日OA)
椿泊は阿南市の南部、徳島県東端の魚村です。戦国時代に名を馳せた阿波水軍の拠点があった場所です。天然の良港であり現在も漁業が盛んです。S字や直角に曲がりくねった独特の細い道が約2kmも続く集落があり、道に沿った民家はおおむね2階屋で、檜造りの立派な家が多く、表通りに面した欄干は非常に凝った造りで、民家というよりは料亭や旅館に使うような細工がされています。椿泊は明治末から昭和初期に遠洋漁業で栄え、このような凝った家を競って建てたようです。
四国の最東端にある岬が浦生田岬です。紀伊水道と太平洋が交わるこの岬は、アカウミガメの産卵地として知られており、毎年5月〜8月にかけて多くの人が訪れます。