遥か昔より、人々が往来してきた「道」。 一群の人々が通り過ぎるたび 文化が生まれ、歴史が築かれてきました。 四国歴史文化道。 美しい自然のなかで受け継がれる ふるさとの道を訪ねます。
四国歴史文化道とは
四国は、古くから、奈良の都につながる南海道や海上交通の大動脈瀬戸内海などによって各地と盛んな交流を行い豊かな文化を育むとともに、空海ゆかりの四国霊場八十八ヶ所など心のやすらぎを感じさせる独自の風土を生み出しています。
また、阿波おどりをはじめとする伝統あるエネルギッシュな祭りも数多く、さらに明治維新など歴史の節目には日本を動かす幾多の歴史的人物を輩出してきました。
「四国歴史文化道」は、官民が一体となって四国各地域に点在する歴史的文化遺産を結ぶ道路網を整備し、より多くの方々にこうした四国の歴史・文化に触れて親しんでいただける環境づくりに取り組んでいるものです。





芸予諸島歴史文化道
芸予諸島は、戦国時代に活躍した村上水軍の本拠地として栄えたことから 固有の歴史と文化を育み、全国一多くの国宝の武具甲胄類を収蔵する大山 祇神社(おおやまづみじんじゃ)など、数多くの歴史的文化遺産を今に伝える地域です。また、芸予諸島を通って本州と四国を結ぶ連絡橋(しまな み海道)により、各島に点在する文化遺産が繋がりをもって、一段と輝き を増しています。

■伯方島・岩城島(いわぎしま)(2006年6月27日OA)
伯方島は、大島と大三島に挟まれた自然豊かな島です。この島は古くから塩田の島、 海運の島として知られ、今でも広大な塩田跡地とたくさんの海運会社があります。
島で最も由緒ある禅興寺は村上水軍の隆盛を築いた能島村上家の菩提寺です。
禅興寺の近くには能島村上家の祖村上雅房と奥方の供養塔があります。
岩城島を中心とした愛媛県今治市と広島県尾道市の間の島々は、三島(さんと う=来島・能島・因島)村上水軍の本拠地でした。岩城島の、海に突き出た小山 に築かれた岩城亀山城もその水軍城の一つです。
現在は、『青いレモンの島』の愛称で呼ばれ、穏やかな海とレモンやみかんなどの 柑橘栽培の島です。
■今治城・伊予国分寺塔跡(2006年6月20日OA)
今治城は関が原の戦いのあと、今治地方を治めた藤堂高虎によって築かれました。
この城の特徴は、海水を引いた三重の堀で囲まれて、軍港もあったことです。もともと この地は吹上と呼ばれた砂丘でした。地盤が弱いため、杭を打ち込み、その上に石を 並べるという手法が取られています。現在の今治城天守閣は、貞享・安永の今治城絵図 などを参考にして鉄筋コンクリート造りで再建されています。天守閣内部は、江戸時代 の文化資料を中心に展示した郷土歴史民族資料館になっています。
伊予国分寺は8世紀の半ばに聖武天皇の勅願により諸国に建立された国分寺のひとつです。 かつては七堂伽藍の並んだ、全国の国分寺の中でも屈指の大寺院だったと考えられています。 七重搭跡といわれる13個の巨大な礎石は国の史跡に指定されています。
■大山祗神社(2006年6月13日OA)
日本総鎮守とも呼ばれる大山祗神社は、大三島のほぼ中央部に 位置し、その歴史は今からおよそ2600年前、神武天皇御東征の頃にまで さかのぼるとされている由緒ある神社です、御祭神は、天照大神の兄君にあ たる大山積大神です。日本建国の大神といわれ、海の神、武人の神として 歴代の朝廷や武将達から広く崇拝を集めました。
付属の宝物館には、源氏をはじめとする武将が奉納した甲冑や美術品 などを展示し、全国の国宝・重要文化財に指定された武具の8割が納められています。
■村上水軍(村上義弘の墓、村上水軍博物館、能島城跡の展望)(2006年6月6日OA)
鎌倉時代から室町時代にかけて60年程続いた南北朝の時代に、南朝の後醍醐天皇の懐良親王を助けた村上義弘が頭角を現し、村上水軍の基盤を 確率したと伝えられています。
村上水軍は戦国時代海の大名と呼ばれ、瀬戸内、しまなみ海道をすっぽり と覆い、瀬戸内海を支配していました。
その本拠地であった能島は周囲720m、面積1.5haの小さな無人島ですが、大島と伯方島の間の宮窪の瀬戸は、瀬戸内海の中でも屈指の難所として知られています。激しい潮流が瀬や海底の岩礁にぶつかり、変化に富ん だ渦潮を生み出します。
宮窪町にある「村上水軍博物館」には、能島村上家の栄華をいまに伝える 数多くの文化遺産が保存・展示されています。