遥か昔より、人々が往来してきた「道」。 一群の人々が通り過ぎるたび 文化が生まれ、歴史が築かれてきました。 四国歴史文化道。 美しい自然のなかで受け継がれるふるさとの道を訪ねます。

■道後温泉・放生園・温泉街の風景(2月20日OA)

天下の名湯と称えられる道後温泉は、幾多の伝説や神話にその名をとどめており、開創以来およそ3000年の歴史を持つと言われている日本最古の温泉です。
道後温泉本館は、道後温泉の中心にある温泉共同浴場です。明治27年に建造された歴史ある木造三層楼の建物で、街のシンボル的存在です。1994年には国の重要文化財に指定されました。
道後温泉駅前には放生園という小公園があります。園内には坊っちゃんからくり時計・足湯・湯釜・句碑などがあり、中でも歩き疲れを取ることができる足湯が人気です。
道後温泉本館を中心とした道後温泉街は、旅情漂う湯の街です。そこには古えよりの風情と人々の賑わいがあります。


松山を中心とするこの地域は、日本最古の名湯道後温泉に象徴されるように古くから開け、近世には松山15万石の城下町として栄えた豊かな風土を持っています。明治に入ると 近代俳句の父正岡子規を生み、小説「坊ちゃん」を書いた夏目漱石も足跡を残しています。
高松を中心とするこの地域は、高松城の城下町として栄え、栗林公園など全国に誇る文化遺産が残されています。また、源平合戦で知られる屋島、崇徳上皇ゆかりの五色台など、いにしえの歴史の舞台となった地域であり、瀬戸内海の自然美と一体となった数多くの歴史的文化遺産を有しています。
四国山地に位置する祖谷地方には、かずら橋に象徴されるように、屋島での源平合戦に敗れて、この地に逃れた平家一族にまつわる遺跡や伝説が数多く残されています。 また、この地域は、深い渓谷によって、古来、他の地域とは交流が少ない世界を形成してきたことから独自の文化やエネルギーを感じさせる地域でもあります。
愛媛県から香川県にかけての瀬戸内海ひうち灘に面するこの地域は、西条のだんじりや新浜の太鼓台、豊浜のちょうさなど、江戸時代から続く勇壮な秋祭りが盛んで、伝統文化の豊かさを感じさせます。また、元禄時代から掘り続けられた別子銅山跡や、日本の石積みダムの先駆けとなった豊稔池ダムなど、産業近代化への足跡を示す貴重な遺産が残されています。
徳島県南部の沿岸から室戸岬一帯にかけての地域は、古くから海部(あまべ)と呼ばれる漁業や製塩を生業とする人たちが住み着いたところといわれ、戦国時代から江戸時代にかけては阿波水軍が活躍するなど、海とともに生きてきた歴史をもっており、今も海の民の文化が各地に残っています。また、太龍獄(阿南市の太龍寺近辺)や室戸岬は若き日の空海が激しい修行を行った地として知られ、空海の足跡を示す数多くの貴重な歴史文化遺産が残る地域です
四国一の大河、吉野川流域では、しばしば氾濫する川を巧みに活かし、藍の栽培が盛んに行われました。阿波藍は藩主蜂須賀氏が奨励したため、 染料としての藍だけでなく、藍を使って染め上げたしじら織など が発達しました。吉野川流域には、こうした藍の製造販売と、それを基盤と した阿波の繁栄をうかがわせる歴史的文化遺産が数多く集積しています。
旧大洲街道・宇和島街道に沿って、独自の歴史と文化を育み、貴重な歴史的文化遺産を今に伝える町が連なって いる地域です。全国有数の木蝋の産地として栄え古い町 並みが残る内子から、伊予の小京都と言われる水郷大洲、 開明学校など文明開化の香り豊かな宇和、江戸時代の商家 などを残す吉田、伊達十万石の城下町として栄えた南予の 中心都市宇和島へと続きます。
芸予諸島は、戦国時代に活躍した村上水軍の本拠地として栄えたことから 固有の歴史と文化を育み、全国一多くの国宝の武具甲胄類を収蔵する大山 祇神社(おおやまづみじんじゃ)など、数多くの歴史的文化遺産を今に伝 える地域です。
また、芸予諸島を通って本州と四国を結ぶ連絡橋(しまな み海道)により、各島に点在する文化遺産が繋がりをもって、一段と輝き を増しています。
金刀比羅宮は、古くから海上保安の神として全国的な信仰を集め、海の玄関口であった丸亀や多度津から琴平に続く道は、こんぴら街道として栄えました。
また、街道の途中には弘法大師空海の生誕地善通寺があり、周辺には空海ゆかりの歴史的文化遺産が数多く残されています。こんぴらさんと空海という二つの大きな民衆信仰にまつわる歴史文化が息づく地域です。
太平洋に臨む高知県(旧土佐国)は、幕末から明治にかけて、坂本龍馬、板垣退助、岩崎弥太郎など近代日本の草創期に大きな足跡を残した偉人たちを数多く輩出しました。明るく開放的な南国情緒に満ちたこの地域には、江戸時代から続く日曜市や土佐の美味食材が豪快に盛られた皿鉢料理など、独特の歴史・文化が色濃く残っています。