安徳帝の御典医、堀川内記の子孫代々の屋敷で、平家の資料や遺品を展示しています。
堀川内記は、平家滅亡の折りに一族とともに入山し、薬草の豊富な祖谷の地で、医業と神官を勤めた人です。
庭には、樹齢800年の老樹がそびえ、江戸時代の民家をそのまま保存した館内には鎧・旗・古文書・生活用具などが展示されています。
■大歩危・小歩危
大歩危(おおぼけ)小歩危(こぼけ)は2億年もの時を経て、四国山地を横切る吉野川の激流に結晶片岩(けっしょうへんがん)が削られてできた渓谷です。
このあたりは四国山脈を越えるときに必ず通らなければならない場所で、崖が切り立ち
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川の流れも速く、古くからの難所として知られていました。
「足場の石の間隔が狭く、大股で歩いては危ない大歩危、足場の石の間隔が広く小股で歩いては危ない小歩危なことからこのように呼ばれるようになりました。