遥か昔より、人々が往来してきた「道」。一群の人々が通り過ぎるたび 文化が生まれ、歴史が築かれてきました。 四国歴史文化道。 美しい自然のなかで受け継がれる ふるさとの道を訪ねます。
四国歴史文化道とは
四国は、古くから、奈良の都につながる南海道や海上交通の大動脈瀬戸内海などによって各地と盛んな交流を行い豊かな文化を育むとともに、空海ゆかりの四国霊場八十八ヶ所など心のやすらぎを感じさせる独自の風土を生み出しています。
また、阿波おどりをはじめとする伝統あるエネルギッシュな祭りも数多く、さらに明治維新など歴史の節目には日本を動かす幾多の歴史的人物を輩出してきました。
「四国歴史文化道」は、官民が一体となって四国各地域に点在する歴史的文化遺産を結ぶ道路網を整備し、より多くの方々にこうした四国の歴史・文化に触れて親しんでいただける環境づくりに取り組んでいるものです。





松山歴史文化道
松山を中心とするこの地域は、日本最古の名湯道後温泉に象徴されるように古くから開け、 近世には松山15万石の城下町として栄えた豊かな風土を持っています。明治に入ると 近代俳句の父正岡子規を生み、小説「坊ちゃん」を書いた夏目漱石も足跡を残しています。 また、砥部焼きや伊予かすりなどの伝統工芸も全国的に知られるなど長い歴史の中で育まれた文化が生活に溶け込んでいる地域です。
■道後温泉・放生園・温泉街の風景(2月20日OA)

天下の名湯と称えられる道後温泉は、幾多の伝説や神話にその名をとどめており、開創以来およそ3000年の歴史を持つと言われている日本最古の温泉です。
道後温泉本館は、道後温泉の中心にある温泉共同浴場です。明治27年に建造された歴史ある木造三層楼の建物で、街のシンボル的存在です。1994年には国の重要文化財に指定されました。
道後温泉駅前には放生園という小公園があります。園内には坊っちゃんからくり時計・足湯・湯釜・句碑などがあり、中でも歩き疲れを取ることができる足湯が人気です。
道後温泉本館を中心とした道後温泉街は、旅情漂う湯の街です。そこには古えよりの風情と人々の賑わいがあります。
■子規堂・愚陀仏庵(2月13日OA)

<子規堂>
松山市出身の俳人・正岡子規が17歳まで過ごし、新聞作りや漢詩に励んだ旧宅を正宗寺の境内に再建した木造平屋建ての建物です。内部には、子規が愛用していた勉強机や遺品・遺墨・写真など貴重な資料が展示されています。
<愚陀仏庵(ぐだぶつあん)>
松山中学校に赴任した夏目漱石の下宿を復元したもので、大学予備門時代からの親友である正岡子規も50日余り同居していました。当時の愚陀仏庵は松山市二番町にありましたが、昭和20年に戦災で焼失し、昭和57年、松山城のふもとに再建したものが現在の愚陀仏庵です。愚陀仏とは漱石の別号です。
■松山城(2月6日OA)

松山城は1602年(慶長7年)加藤嘉明によって27年の歳月をかけ築城された、別名「金亀城」「勝山城」と呼ばれる城です。
攻守の機能に優れた日本一の連立式平山城で、姫路城・和歌山城と並ぶ三大連立式平山城の一つです。
天守は、大天守・小天守・南隅櫓・北隅櫓を渡り櫓(廊下)で結んだ連立式城郭で、現存する天守としては最も新しいものです。
1935年(昭和10年)国の重要文化財に指定され、1952年(昭和27年)には国の史跡に指定されました。 現在はロープウエイ・登山リフトを設置し、松山市を代表する観光地の一つになっています。
■12月12日OA
(四国の語り部 砥部焼伝統産業会館 館長 山田邦男さん)
<砥部焼伝統産業会館と陶坂の道>
砥部焼きは磁器創業以来、約230年の歴史を持ち、昭和51年に国の伝統的工芸品に、平成17年に愛媛県の無形文化財に指定されました。
砥部焼伝統産業会館は、砥部焼の歴史的資料や貴重な焼き物を展示しており、県内にある80数件の窯元のうち60数件の窯元の優れた作品を数多く展示・販売しています。
2階では個展やグループ展などの多彩な催しが行われています。