遥か昔より、人々が往来してきた「道」。 一群の人々が通り過ぎるたび 文化が生まれ、歴史が築かれてきました。 四国歴史文化道。 美しい自然のなかで受け継がれる ふるさとの道を訪ねます。
四国歴史文化道とは
四国は、古くから、奈良の都につながる南海道や海上交通の大動脈瀬戸内海などによって各地と盛んな交流を行い豊かな文化を育むとともに、空海ゆかりの四国霊場八十八ヶ所など心のやすらぎを感じさせる独自の風土を生み出しています。
また、阿波おどりをはじめとする伝統あるエネルギッシュな祭りも数多く、さらに明治維新など歴史の節目には日本を動かす幾多の歴史的人物を輩出してきました。
「四国歴史文化道」は、官民が一体となって四国各地域に点在する歴史的文化遺産を結ぶ道路網を整備し、より多くの方々にこうした四国の歴史・文化に触れて親しんでいただける環境づくりに取り組んでいるものです。





高松歴史文化道
高松を中心とするこの地域は、高松城の城下町として栄え、栗林公園など全国に誇る文化遺産が 残されています。また、源平合戦で知られる屋島、崇徳上皇ゆかりの五色台など、いにしえの歴史 の舞台となった地域であり、瀬戸内海の自然美と一体となった数多くの歴史的文化遺産を有しています。
■田村神社の朝市(2007年1月30日OA)
讃岐一宮として、古くから地元の人々に親しまれている神社です。創建は709年(和銅2年)と伝えられ、祭神は孝霊天皇の皇女・倭迹々日百襲姫命(やまとととひももそひめのみこと)ほか5柱の神です。毎週日曜の午前中には、参道沿いで朝市「日曜五楽市」が開かれています。
農産物の販売を中心とした市ですが、年末は甘酒、年始はぜんざいをいただくことができます。
社脇の建物では讃岐うどんの店が開かれており、県内でも珍しい「神社で食べる」うどんとして知られています。
■平賀源内先生遺品館(2007年1月23日OA)
江戸文化が華やかに花開いた江戸時代後期に現れ、独創性に富んだ多彩な能力を発揮した 平賀源内は発明家であり、文芸家、本草家(今の薬学・博物学)陶芸家としても知られています。
安永5年(1776年)に日本初の発電器エレキテルを発明したことは有名です。  
こちらでは、エレキテルをはじめ、量程器(万歩計)、掛け軸のほか、書類、学術書など平賀源内に関わる数々の遺品を展示しています。
■法然寺とお成り街道(2007年1月16日OA)
仏生山は、1668年(寛文8年)に初代高松藩主が菩提寺(ぼだいじ)として、法然寺を建立して以降、その門前町として繁栄しました。ちきり神社までの約1kmの街道は、歴代藩主が墓参りに訪れる際の大名行列で通っていたため「お成り街道」と呼ばれ、当時賑わっていました。
街道沿いには、現在も江戸から明治頃に建てられた古い民家が点在していて、魅力ある景観を形成しています
■源平合戦の舞台 屋島、屋島寺(2007年1月9日OA)
瀬戸内海国立公園有数の景勝地です。山上の屋島寺や周辺には源平合戦に関する遺品 や遺跡が残されています。東麓には、源平合戦の「那須与一の奥義の的」などのエピソードが残る壇ノ浦古戦場があります。
■12月5日OA
(四国の語り部 坂出観光ボランティア会 大峯勝美さん)
<白峯寺(しろみねじ)と紅葉>(坂出市)  
四国霊場八十八箇所81番札所「白峯寺」の北側にある頓証寺殿(とんしょうじでん)は、崇徳(すとく)上皇の御廟所です。
裏山には、崇徳上皇の御陵白峯御陵があります。
天皇や皇后、上皇などの墓所である御陵は、一般に京都や奈良など当時の都の近くに造られて いるのですが、都から遠く離れたところに造られているのは下関の安徳天皇陵と淡路島の淳仁天皇陵、そしてここ白峯陵だけです。崇徳上皇は、平安時代の終わりに天皇の位をめぐる争い(保元の乱)に敗れ、今の坂出あたりに流され、この白峯で荼毘にふされました。
生前、上皇はせめて自分の書き写したお経だけでも都の寺に納めたいと願いましたが、都の貴族たちはこのお経には呪いがこめられていると送り返してきました。上皇は深い悲しみのうちに亡くなったといいます。その後、都に変事が続くので、上皇の怒りを静め、霊をまつるために御陵の東側に頓証寺殿が造られたといわれています。