ふるさとの自然 みずべの風景 弘法大師ゆかりの名水
弘法大師ゆかりの名水
【杖の渕】
松山市を貫いて流れる重信川流域には、清冽な湧水群があります。その数は60ヵ所を超え、昔から生活用水や農業用水として利用されてきました。なかでも第48番札所西林寺の南西にある湧水は、弘法大師にまつわる伝説にちなんで「杖の渕」と呼ばれています。
杖の渕は、湧水の池を中心に杖の渕公園として整備され、人々に親しまれています。その清流には藻に似た「テイレギ」という濃い緑色をした植物が自生しています。昭和60年1月杖の渕の湧き水は、きれいな水と豊富な水量ならびに保存活動が評価され、環境庁より全国名水百選の一つに選ばれました。

【弘法大師と杖の渕伝説】
日照りが続いたある年、修行中の弘法大師が高井の里を通りかかりました。歩き続けて喉が渇いた弘法大師は付近の家々で水を頼みましたが、どの家でも水を貰えません。とあるあばら家でも老婆に水を頼んだところ、老婆は遠く離れた泉まで水汲みに行き、長い時間かかって一杯の水を持って帰ってきました。不憫に思われた大師は、「この辺りでは水が不自由とみえる。出してあげよう」と言い、杖を大地に突き入れると、そこからたちまちきれいな水が湧き出し、たちまち泉となりました。この泉(渕)はどんな日照りにも涸れることはなく、近隣の住民の大切な水源として利用されてきました。

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重信川・泉わくわく通信
愛媛県重信川流域に点在する泉のうち、25ヶ所程度の泉の四季を、毎週1ヶ所ずつ画像とともに紹介しています。


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近隣のおでかけスポット

余島周辺マップ
松山城 松山城は1603年、賤ケ岳の七本槍で名高い戦国時代の武将加藤嘉明が、道後平野の中心に位置する勝山山頂に25年(1602〜1627)の歳月をかけて築城しました。その後、蒲生忠知を経て、1635年に松平(久松)定行が松山15万石を領することになり、明治維新に至るまで親藩松平家の居城として続きました。
松山城は、門櫓(もんやぐら)や塀、鉄砲狭間・弓狭間、石落としなどを巧みに配し、攻守の機能に優れた名城として、姫路城や和歌山城とともに、日本三大連立式平山城の一つとして数えられています。昭和25年には現存する天守閣などの建造物が重要文化財の指定を受け、同27年には城跡が国指定の史跡となっています。現在は東雲口からロープウェイおよびリフトがあり、山頂まで手軽に登ることができます。
松山城二之丸史跡庭園 松山城二之丸史跡庭園は、松山市制100周年を記念して、藩主の邸だった松山城二之丸跡を整備・復元した日本庭園です。
祭事が行なわれていた表御殿跡は、各地のカンキツ類や草花で昔の部屋の間取りを表現した「柑橘・草花園」です。藩主の住居であった奥御殿跡は西南部にある「流水園」で水と砂利と芝生で昔の部屋の間取りを表現しています。この他にも、発掘された当時の大井戸の遺構や当時の手法で復元された櫓や門、塀も見所です。
萬翠荘(愛媛県立美術館分館 郷土美術館)と愚陀仏庵 萬翠荘は、旧松山藩久松家15代当主にあたる久松定謨が、松山での別邸として大正11年に建てたフランス風鉄筋コンクリート造の建物です。戦後米軍将校宿舎や家庭裁判所、県立郷土芸術館として使われたのち、昭和54年に愛媛県立美術館分館となり特別展スペースとして現在でも使われています。昭和60年には愛媛県指定有形文化財に指定されています。
また萬翠荘の裏手には、一時正岡子規も居候したと伝えられる、夏目漱石の下宿先を復元した愚陀仏庵が復元されています。