| 松山城 |
松山城は1603年、賤ケ岳の七本槍で名高い戦国時代の武将加藤嘉明が、道後平野の中心に位置する勝山山頂に25年(1602〜1627)の歳月をかけて築城しました。その後、蒲生忠知を経て、1635年に松平(久松)定行が松山15万石を領することになり、明治維新に至るまで親藩松平家の居城として続きました。
松山城は、門櫓(もんやぐら)や塀、鉄砲狭間・弓狭間、石落としなどを巧みに配し、攻守の機能に優れた名城として、姫路城や和歌山城とともに、日本三大連立式平山城の一つとして数えられています。昭和25年には現存する天守閣などの建造物が重要文化財の指定を受け、同27年には城跡が国指定の史跡となっています。現在は東雲口からロープウェイおよびリフトがあり、山頂まで手軽に登ることができます。 |
| 松山城二之丸史跡庭園 |
松山城二之丸史跡庭園は、松山市制100周年を記念して、藩主の邸だった松山城二之丸跡を整備・復元した日本庭園です。
祭事が行なわれていた表御殿跡は、各地のカンキツ類や草花で昔の部屋の間取りを表現した「柑橘・草花園」です。藩主の住居であった奥御殿跡は西南部にある「流水園」で水と砂利と芝生で昔の部屋の間取りを表現しています。この他にも、発掘された当時の大井戸の遺構や当時の手法で復元された櫓や門、塀も見所です。 |
| 萬翠荘(愛媛県立美術館分館 郷土美術館)と愚陀仏庵 |
萬翠荘は、旧松山藩久松家15代当主にあたる久松定謨が、松山での別邸として大正11年に建てたフランス風鉄筋コンクリート造の建物です。戦後米軍将校宿舎や家庭裁判所、県立郷土芸術館として使われたのち、昭和54年に愛媛県立美術館分館となり特別展スペースとして現在でも使われています。昭和60年には愛媛県指定有形文化財に指定されています。
また萬翠荘の裏手には、一時正岡子規も居候したと伝えられる、夏目漱石の下宿先を復元した愚陀仏庵が復元されています。
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