ふるさとの自然 みずべの風景 海岸は奇岩のギャラリー
海岸は奇岩のギャラリー
善入寺島(ぜんにゅうじとう)は、河口から上流に約30kmの吉野川中流に位置し、広さが約500haと日本最大の川中島(中洲)です。行政上は、阿波郡市場町と麻植(おえ)郡川島町に属しています。
昔から吉野川は洪水が起こるたびに氾濫を繰り返してきました。上流から運ばれて堆積した砂壌土は、地味も肥えており、また耕作しやすい平地や一段高い島形の地形になっていきました。そこで、人々は次第に島に移り住むようになり、肥えた土地を耕して生活をしていました。大正初期には約500戸、3千人もの住民が住んでいました。当時、善入寺島には宮の島村や粟島村などいくつかの村があり、学校が2校、浮島八幡宮などの神社もありました。今でも島内には、当時の島民の生活を思い起こさせる史跡が数多く残っています。
しかし1912年(大正元)〜1926年(大正15)にかけて行われた吉野川改修工事(第一期)によって遊水池として利用されることになり、全島が買収されて、住民は移転し、原野となりました。これらの人々の犠牲によって下流の治水が守られてきたとも言えます。
現在でも無人の島ですが、全ての土地が農地として水稲やダイコン、スイカなど多くの種類の農作物が作られる大耕作地帯となっています。


製作:株式会社WIZard 製作著作:KSB瀬戸内海放送
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近隣のおでかけスポット

余島周辺マップ
川島橋(潜水橋) 吉野川の風景として欠かすことができないものが潜水橋です。潜水は、別名沈下橋とか、もぐり橋と呼ばれ、普段は人や車が通行できますが、台風などの大水の時には水に潜る橋です。吉野川両岸の人や物資の移動には、かつては渡し舟が活躍していましたが、洪水や風に弱く、大水の時など長期間舟止めになることもしばしばでした。川幅の広い吉野川で洪水に耐えられる橋として、潜水橋が昭和20年〜30年代に次々と建設されました。善入寺島に向けて吉野川の南流にかかるこの小さな川島橋も徳島の潜水橋を代表する潜水橋です。
土柱 徳島県を代表する観光地のひとつ「阿波の土柱」は、山の斜面が長い年月の間に風雨による浸食で削り取られてできた自然の造形物です。世界三大土柱の一つであるこの土柱は、千帽子山、高歩頂山、円山の3つの山にまたがっている広大なものです。中でも千帽子山の波濤ケ嶽(はとうがたけ)には高さ13メートルにも達する大天中をはじめ、南北90m、東西50mにもわたって巨大な土柱が群立しています。昭和9年に国の天然記念物に指定されています。
川島城跡 川島城は天正年間(1573〜1592)の初めに、三好氏の一族川島兵衛進によって築かれました。吉野川と伊予街道にのぞむ要衝にあり、阿波九城でも特に重要な城の一つでしたが、元和元年(1615)の一国一城令によって廃城となりました。現在は本丸や二の丸跡は川島公園として整備されていて、復元された天守閣や運動公園、児童公園などの施設があり、桜やツツジの名所としても知られています。