| 宇和島城 |
宇和島城は、宇和島市街のほぼ中央の城山(約80m)を利用して造られています。1601年に藤堂高虎が築城し、その後1615年に仙台藩主伊達政宗の長子秀宗が入城。してから、明治維新まで伊達家9代の居城として続きました。 その三重三層の天守閣は、伊達氏2代宗利の時の大改修によって完成したもので、国内に現存する12ヶ所の天守閣のうちでも江戸時代初期の様式をとどめるものとして国の重要文化財に指定されていて、その均整のとれた美しさから別名鶴島城と呼ばれています。 |
| 天 赦 園 |
天赦園(てんしゃえん)は、7代宇和島藩主の伊達宗紀(むねただ)が隠居所として造った池泉回遊式の大名庭園です。伊達家の家紋である「竹に雀」にちなんで、24種の竹が池を巡るように配置されるなど、樹木と池や橋、建物が見事に配置されています。
ここは花の名所としても知られていますが、中でも池にかかる太鼓橋式の藤棚を造っている白玉藤は、四月中旬から見事な花を咲かせます。また6月上旬からは花菖蒲が見ごろになります。 |
| 伊達博物館 |
伊達博物館は、宇和島市制施行50周年の記念事業として昭和49年に伊達家屋敷跡に建設された博物館で、伊達家に伝わる歴代宇和島藩主にまつわる古文書や武具など数多くの資料が展示されています。 中でも実際に使用されていた婚礼調度品が充実しており、当時の大名家の私的な生活を窺い知ることができます。また豊臣秀吉の肖像画は、現存する数少ない秀吉の肖像画のひとつで、国の重要文化財に指定されています。 |
| 市営闘牛場 |
南予地方では昔から闘牛が盛んに行われてきました。その起源については二説あり、ひとつは鎌倉時代以降、農民が農耕用の強い和牛を育てるために野原で角付き合わさせていたものが次第に娯楽になっていったというもの。もう一方は、17世紀後半に宇和島沖を漂流していたオランダ船を地元民が救助したお礼として2頭の牛が贈られ、この牛がたまたま格闘したことにより始まったとのものです。起源はともかく江戸後期(1800年以降)には土俵を設け本格的に闘牛を行っていたことが藩政時代の古文書にも記載されています。 小高い丘の上に建てられたドーム形の市営闘牛場では、普段はおとなしい1トン近い巨大な牛が、直径20mの土俵に入ると闘争本能をむき出して激突する白熱した戦いをみることができます。 |