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松山港は、古く万葉集にも詠まれた「熟田津(にぎたつ)」の港として広く知られています。「天与の運河」といわれる瀬戸内海の要衝として船の出入りが頻繁で、皇族の行幸も多かったことから、内港地区は「御津(みと)」と呼ばれ、後に「三津(みつ)」とあらためられました。現在の三津地区がこれにあたります。
明治21年には三津(三津ヶ浜)〜松山市駅間(7.4km)を結ぶ伊予鉄道高浜線、いわゆる坊ちゃん列車が開業し、三津地区は松山の海の玄関口として一段と発展していきます。夏目漱石の名作「坊ちゃん」には、こうした光景で登場します。「停車場はすぐ知れた。切符も訳なく買った。乗り込んで見るとマッチ箱の様な汽車だ。ごろごろと五分ばかり動いたと思ったら、もう降りなければならない。道理で切符が安いと思った。たった三銭である。」
太平洋戦争の空襲を免れた三津浜には、江戸時代末期から明治にかけて建てられた古い町家がそこここに残されています。初代三津浜名誉町長であった近藤貞次郎の住居であった旧近藤家や山谷家、木村家などに見られる木組みや柱の太さは、当時の地元有力者の豊かさを示しています
【三津の渡し】
三津浜と対岸の港山の間、わずか80mを結ぶ三津の渡しは室町時代から続く渡し船です。実はこの渡船の正式名称は「松山市道高浜ニ号線」の一部であり、公道であることから乗船料は無料で、乗船場に行けば向こう岸まで渡してくれます。
この渡しの起源は、応仁の乱頃に伊予河野氏の分家である河野道春が港山に築城した時まで遡ると伝えられています。17世紀頃からは海産物を扱う朝市が本格化しはじめ、それにつれてこの渡しは北の漁村部と市場を結ぶ交通路として発達してきました。1970(昭和45)年に現在のエンジン船にかわるまでは、手漕ぎ木造船で、さらにその前の大正初年までは小船を棹で操っていたそうです。
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