ふるさとの自然 みずべの風景 海岸は奇岩のギャラリー
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製作:株式会社WIZard 製作著作:KSB瀬戸内海放送
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(足立重信と重信川)
作家司馬遼太郎氏が「街道をゆく・南伊予・西土佐の道」で「日本の河川で人名がついているのはこの川(重信川)だけではないか」と書いています。唯一かどうかは定かではありませんが、重信川はこの川の治水に功績のあった足立重信の名前を冠した川です。
 さて、重信川は江戸時代までは現在の流れではありませんでした。当時伊予川と呼ばれていたこの川は、長雨や台風の時期には度々洪水を引き起こし、周囲の田地にも甚大な被害を与えていました。文禄五年(1595年)伊予に入封された加藤嘉明は、城下町の整備と田畑の水害対策をかねて、家臣の足立重信に大規模な治水工事を命じます。これは伊予川の下流地域である森松以西の流路を北方に移動させ、石手川を南方に移動させ、両川を出合地点で合流させるという大規模な改修工事でした。足立重信は難工事の末にこれを完成させ、以降水害に見舞われることは激減しました。この業績を賛え、それ以降伊予川は重信川と呼ばれています。

(野鳥の宝庫)
重信川の河口付近は、広大な干潟やヨシ原が形成され、そこに生息するゴカイやカニなどをねらって、カモメ類、冬期に渡来するカモ類や春と秋の渡りの途中に渡来するシギ・チドリ類等にとっての良好な休息地、えさ場となっています。またヨシ原ではセッカやオオヨシキリ、水辺のサギ類、カモ類などを狙って上空を飛翔するオオタカやボラなどの魚を狙うミサゴなども見られます
こうしたことから、重信川河口は「シギ・チドリ類重要渡来地」や「重要湿地500」(いずれも環境省)に指定されています。
 
 

近隣のおでかけスポット

周辺マップ
道後温泉 道後温泉は約3000年の歴史を持つと伝えられる日本最古の温泉で、神代の昔に足を痛めた白鷺が岩間に湧き出る湯で傷をいやしたという温泉開創の伝説があります。景行天皇以来、5帝3后のご来湯をはじめ、古今の著名な文人墨客が訪れていますが、夏目漱石が「坊ちゃん」の中でこの温泉を描いてから、広く名を知られるようになりました。泉質はアルカリ性単純泉で神経痛や筋肉痛に効くとされています。
道後温泉のシンボル・道後温泉本館は、明治27年(1894)に建築された三層楼の共同浴場で、国の重要文化財にも指定されています。その上にある振鷺閣は、四方に赤いギヤマンをはめ込んだ太鼓楼です。ここに吊り下げられた太鼓は、道後一帯に時刻を告げる刻太鼓として、朝は乱れ太鼓で、正午には12回、夕方6時には6回打ち鳴らされます。この刻太鼓の音は「残したい日本の音風景100選」(環境省)にも選定されています。
道後温泉駅と坊ちゃん列車 道後の玄関口に当たる道後温泉駅は、明治の雰囲気が漂う明治建築様式の建物です。夏目漱石が「坊ちゃん」の中で「マッチ箱のよう」と形容した日本最初の軽便鉄道が、坊ちゃん列車として復元されて毎日市内を運行しています。
セキ美術館 セキ美術館は道後温泉駅のほど近く、静かな住宅街にある美術館です。横山大観、加山又造といった日本画の巨匠や小磯良平などの近代洋画家の作品が充実しています。さらに世界の絵画を紹介するハイビジョンギャラリーもあり、誰でも手軽に美術を楽しめます。
道後公園(湯築城跡) 道後公園は、南北朝期(14世紀前半)から戦国期(16世紀末)まで250年以上にわたって伊予国守護を務めた河野氏の居城跡で、伊予国の政治・軍事・文化の中心でした。明治19年に愛媛県が公園として整備して以来、桜の名所として、また市民や道後温泉を訪れる観光客の憩いの場として賑わっています。昭和63年から12年間にわたった湯築城跡の発掘調査をもとに、武家屋敷や土塁を復元、出土遺物、遺構も公開されています。
子規記念博物館 道後公園内にある子規記念博物館は、近代俳句の中興の祖といわれる正岡子規を中心に、夏目漱石や松山市が生んだ文人たちの業績を集大成した文学博物館です。子規の生涯や作品、彼の生きた時代、そして松山の風土などに楽しみながら親しむことができます。三階には子規と漱石が生活を共にした愚陀仏庵が一部再現されています。