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ピカラタウン特集
魅力(ワケ)あって移住しました。

掲載日:2017/10/03

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無農薬で野菜を育てたい。
自然に囲まれた場所でカフェを開きたい。
生まれ故郷の役に立ちたい。

さまざまな想いを胸に、いま、四国へとフィールドを移す人が増えています。
そんな“外からの目”をもったI・Uターンの方々に、四国に惹きつけられた“魅力(ワケ)”を教えていただきました。

※内容は2014年8月取材時のものです。

(提供:四国旅マガジンGajA)

時代の最先端をいく里山 【徳島県神山町】



きっかけは1927年、アメリカの子どもから日本の子どもへ贈られた「青い目の人形」。1万体以上の人形のほとんどは、戦時中に燃やされ、壊された。だが、神山町の神領小学校の「アリス人形」は、当時の女性教師の気転で残されていた。…続きはこちら>





企業人として全国を転々としていた中山竜二さんは、高松支店に赴任していた6年前、地元の新聞で「グリーンバレー」のことを知った。「すぐに『イン神山』のサイトを見て、売り家の情報を知り、その週末には神山町に来ました」。即決でその家を購入し、翌年には会社を辞め神山町に移住した。「転勤族なので地域との交流がもてない。会社と家を往復するだけの日々に、どこかむなしさを感じていました。定年後に田舎暮らしを…と考えていましたが、それを前倒ししたような格好になりました」。 …続きはこちら>





「グリーンバレー」の取り組みの一つに、「神山塾」と名付けた求職者支援訓練の事業がある。神先岳史さんは神山塾の3期生。外国語大学を卒業後、調理師として働いていた。「50歳になったとき、料理人をしているイメージが湧かなかった。何かをしたい」。そんな思いを抱えてベトナム、山形へ。自分のやりたいことが掴めないまま、「神山塾」に参加した。 …続きはこちら>



懐深い四国の“おへそ” 【高知県嶺北地域】



人生、何があるか分からない。福岡県でサラリーマンをしていた山中敏雄さんは、休暇を利用して四国一周のツーリングに出かけた。そこで出会ったのが、土佐町のブドウ農園の娘であるこずえさん。ふたりは結婚し、敏雄さんはブドウ農家となった。…続きはこちら>





クルマが後退しそうな急坂の道を登りきったところに「お山の宿 みちつじ」がある。古民家の前に立ち、出迎えてくれたのは、宿のオーナーである安達ファミリー。ともに岡山県出身の大介さんは建築関係の職人、佑実子さんは音大でフルートを専攻していた。東京で出会い、5年前に結婚したふたりが、漠然と移住を考え始めたのは長男・奏くんが誕生してから。「私の姉夫婦が大豊町に移住してカフェを営んでおり、交際時代から何度か遊びに来ていたんです。奏が生まれてからは、ここで子育てできたら幸せだろうなって感じていました」と佑実子さん。そんな折、2011年の震災が起こり、ふたりの気持ちは移住へと傾いた。…続きはこちら>





2005年、スラジとムッシュは、吉野川のラフティングガイドの同僚として出会った。「ガイドにはリバーネームがあり、僕はスラジで彼女はムッシュ。山と川が好きな僕は世界中をウロウロしていて、その当時の彼女は大学休学中。ムッシュはその後、大学の先生というおカタイ仕事に就いたんだけど、3年後には僕と一緒に大好きな川のほとりで暮らしていました」と話すのは、「大田口カフェ」の喜夛河隆一さん。…続きはこちら>



自由に生きられる島 【香川県小豆島】



ポン真鍋さんの生き方は、下手な小説よりドラマチック。東大で野球に打ち込み、大学院を経て、「結婚するために稼ごう!」とリーマンブラザーズに入社。ところが1年半で離婚し、30歳になったときに会社が倒産した。…続きはこちら>





「FURYU(フリュウ)」は、瀬戸内海を見下ろす高台のレストラン。オーナーシェフである渋谷信人さんが本格的に料理の世界に入ったのは27歳。「遅まきのスタートでしたが、東京・六本木のオーガニックのイタリアンレストランで働き口を得て、少しずつ食材の大切さに目覚めていきました」。…続きはこちら>





生家は浅草の花屋さん。「花は好きだけれど、忙しい両親を見て『花屋にはなるまい』と決めていました」と話すのは、小豆島で「pensée(パンセ)」を営む西脇美津江さん。20代で結婚したが30歳で破局。失意の中で出会ったのが、ジェーン・パッカーというイギリス人フラワーデザイナーの作品。すぐさまスクールに通い、ブライダル関係のフラワーデザイナーとなった。仕事は順調だったが、とにかく忙しい。花に気持ちを込めることができない自分に気づいた8年前、「原点に還ろう」と小豆島のオリーブ農園に働き口を求めた。…続きはこちら>



潮風が手招きする港町 【愛媛県三津浜】



三津浜沖に浮かぶ忽那諸島の怒和(ぬわ)島。商店街の喫茶店「田中戸」のオーナー・田中章友さんは、1978年にこの島で生まれた。18歳でアメリカに留学、3年半後に帰国してからは、日本全国で「食」に携わる仕事を経験した。そんな彼が、島に帰る途中の三津浜に店を構えたのは2010年。その理由を尋ねたら「たまたまです」とはぐらかす。店では、柑橘など島でとれた食材を使っており、「少しでも島のことを紹介できれば…」と話す。 …続きはこちら>





アーティストの中ムラサトコさんは、2012年春、3人の男児とともに三津浜に移り住んだ。「田中戸のアキくんとは古い知り合いで、数年前にツアーの途中に三津浜に立ち寄って。その後、震災に遭い、先行きに不安を感じた時、三津浜のことを思い出したの」。…続きはこちら>





「いつかは田舎暮らしを…という気持ちはあったけれど、震災がなければまだ東京にいたかもしれない」。平林知己さんは西荻窪でライブハウス兼レストランを営んでいた。店は繁盛していたが、震災以降、安心して食べられる食材の調達に頭を悩ませていた。また、自身の生き方についても、真剣に考えるようになった。…続きはこちら>



清流のほとりの学び場 【高知県四万十川流域】



田舎には働き口がない。そんな風に思っていた。「とんでもない! 表に出ていないだけで、働き口はけっこうあるんです。また家賃や物価が安い田舎は、都会より起業しやすい面もあります」。そう話すのは、「いなかパイプ」の佐々倉玲於(れお)さん。彼らの事業は主にふたつ。ひとつは、「田舎で仕事をしたい」という人を対象にした29泊30日のインターンシッププログラム「いなかビジネス教えちゃる」の主催。参加者は高知県の農山漁村に住み込み、さまざまなビジネスを体験し、田舎暮らしのノウハウを学んでいく。農家やデザイナー、カヌー体験施設などで修業をし、そのまま住み着いた人もいるのだそう。…続きはこちら>





2012年冬、四万十町に小さなカフェがオープンした。名前は「カゴノオト」。「いろんな使い道がある籠。使うヒトや入れるモノによって、同じ籠でも違う音がする。そんな店にしたくて」と、東京でコックをしていた前成照(まえみちあき)さん。妻の小清水(こしみず)緑さんはソーシャルワーカーとして働きながら、週1回、シェアカフェを展開していた。…続きはこちら>





高知市生まれ、「自由な時間が欲しい」と定職には就かず、沖縄本島や久米島を転々としながらアルバイト生活を送っていた山脇佳子さん。その延長線上で、四万十町にインターンシップ生としてやってきた。 「ここなら自分のやりたいことができそう」と感じ移住。2013年春にフリーランスとして活動を始めた。オフィスは「シマントシェアオフィス161」、住まいは空き家になっていた一軒家。当初は農家でアルバイトをしながら生計をたてた。「アルバイトも思っていたより需要があって、生活面での不安を感じたことはありません」。…続きはこちら>





大阪でグラフィックデザイナーをしていた北條佑圭子(ゆかこ)さん、通称ピーちゃんは田舎暮らしを恋しく感じていた。かつて、彼女は大学院を休学し、迫田司さんのインターンシップに参加したことがあったのだ。「その時点で就職が決まっていたので、そのまま入社したものの、四万十での日々が忘れられなくて。それで『しまんと住民プロダクション』のスタッフ募集に応募したんです」。 …続きはこちら>



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